海を渡った筆洗器
猪熊先生からピカソまで
猪熊弦一郎先生のアトリエいっぱいに広げられた新聞の上に、汚れた筆洗油の入った器と、洗ったばかりの筆が並べられていました。
私が、「こんなに汚れた油ではきれいにならんでしょ?」と聞くと、油がもったいないからとの返事。
先生は、「器の底にこびりついた絵の具を剥がすのに半日かかるし、使いかけの筆をそばに置くと互いにくっつき合うのが悩みのタネだ」とも言いました。オヤジはその日、筆洗い油の汚れない方法と、筆同士がキッスしない方法とを宿題にして帰りました。
筆洗い器を二重底にすれば、絵の具カスだけが下に落ちて、油は汚れづらいことに気がつきました。さらに一年ほどして映画を観ていたとき、それは手術シーンだったのですが、湯気の立っている筒にラセンが張ってあって、そこにメスを次々に差し込んでいるのをみてピンときた。
これを筆に置き換えれば一石二鳥と、ブリキ屋に見本を注文。3年間何度となく試作品を作らせたが、これもダメ、あれも不満、とうとうブリキ屋から、勘弁してくれ。もう金銭じゃない。私の脳ミソはこれ以上カラクならんので」(原文のまま)と断られる始末。
画箱職人とともにやっと満足のいく物を手にできたのは5年目。猪熊先生のところに走ったら、「こんなのがほしかった。絵になる」と一言。いっぺんに苦労が吹っ飛びました。
やがて特許がおりました。これを洋画家の国沢和衛さんが、パリにいた藤田嗣治先生に持っていったら、「見ているだけで楽しいよ。オヤジは今でも考え続けているのかい」と。
そしてパリの洋画家・関口俊吾さんがピカソを訪ねたら、ピカソが言いましたと。
「日本の画家はいいな。便利なものがあって」
フタに刻まれたホルンが何とも懐かしかったよ、と関口さんが言いました。